日本全国友だちの輪
今のように携帯電話やパソコンが一般的に各家庭に普及したのは、10年位前から。
いまや、年賀状までメールが当たり前になっているご時勢。
そんな時にこんな話をするのは、アナログで笑われそうですが…。
母が若いときには、まあ文通が一般的。学生時代から各地にペンフレンドなるものが常に5〜6人はいました。
時にはFAX通信とかやってましたね〜(笑)
ママ友も、うららが一人の頃は近所のリアルな関係か、文通と言う手段で各地に相談相手を作っていました。
リアル友は正直なところ、親同士がなかよしでも子どもがあわなかったりして
余計な気を使うことになりがちで、苦手でした。……というか、今でも苦手。
子どもを介したお付き合いは、めんどくさいので嫌いなんです。
自分の友だちは、自分の友だちであって、子どもの友だちではないし、逆も然り。
友だち同士で子どもを預けあうというような、一見まあるい関係も、力関係や性格の差でどちらかが我慢するようになればしんどくなるだけで、実はうらでどろどろだったりして、よほどおたがいが割り切った関係か、子供同士も仲良しこよしならばまあ…勝手にやってちょうだいな…としか言えず(笑)、とにかく私はそういうのが大の苦手。
そんなふうに友達同士で相互扶助の関係を築くより、いっそ金がかかっても保育園に預けたほうが安心できます。
だから、私はうららの事を預けた事は殆ど皆無に等しく、数えるほどしかありません。それも、友だちの親御さんから申し出があってとか、はたまた緊急の時のみ。
そんな性格ですから、遠くに友だちを求めるタイプでした。
「赤ちゃんとママ」という育児情報誌を主人の会社の健保組合から子どもが生まれて1年間無料で送ってもらえる得点がありまして、そのママ友募集コーナーに掲載されてそのつながりで5〜6人のペンフレンド(死語だな…笑)が出来たんですね。
それがこの育児新聞開始のきっかけではありました。
うららが1歳になってから始め、兄弟が3人になって、みんな小学校に上がるまでの10数年間、ブログに切り替えるまではなにかしら書いてはその当時当時の友だちに送っていました。
初めのころはほぼ毎月一度、新聞を発行して、それをコンビニコピーで増やし、手紙に入れて送るのが楽しみでした。
その後、他の育児雑誌にもいろいろと掲載され、そのたびにペンフレンドが増えて行きました。最高で14人くらいいたと思います。
今では、ひとえに私の不精のせいで年賀状さえ出さない年があるくらいなので、たまにびっくりするほどお久し振りにEメールをいただいたりします。
一度は北海道の友だちを頼って、旅行に行ったりましたね。
今では、ネットがあるからアドレス知ってれば、一瞬でつながるけど、当時の手紙のやり取りと言うのは、アナログだけど返事が帰るまでのわくわく感が楽しみの一つではありましたね。
イマドキの若いママさんたちにこんなこと話したら、笑われそうですが、当時はそれでも手紙のやり取りで、ずいぶんと育児のストレスから開放されたものです。
今も時々みて可笑しいのは、育児の掲示板サイトなどで交わされるような悩みは当時の自分たちと同じなんですね。
うららは今年17歳になりますから、かなり前の話ですけど、子どもを育てるというのは、いくらパパの協力が活発になったとか、一時預かりなどで保育園に早くから預けてストレスを減らせとかいいますが、いくら子育て支援をしても、結局はお母さんが長い時間わが子と向き合うんです。
泣き止まないとか、ミルクを飲まないとか、おっぱいの出が悪いとか…。
いくら時代が変わっても悩みは似たようなもの。
それは、人間がアナログな存在だから。
生きているから。
人が人を育てるというのは、本来アナログなことなんですよね。
悩みながら、自分も経験していくわけで。
今も、どこかにダンボールいっぱいの手紙がきっとあるはず。
手紙は捨てられませんからね。10数年前の悩みが今は懐かしく思い出されます。

(イラスト/95/03/16作画)
おかえりなさい-のびのび一年生
![]() | おかえりなさい―のびのび一年生 小学校の先生が、初めて受け持った1年生年との楽しくも驚きの日々を語った作品です。 思わず、こどもってそうそう!と、笑えてしまうようなエッセイもあれば、ほろりと来るような話も…。
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